小欲知足 2017 5 28
「小欲知足」(しょうよくちそく)とは、
仏教の言葉で、足ることを知って欲望を抑えることです。
人間は、自然と「あれも欲しい。これも欲しい」という欲望が出てきますが、
そういう欲望を抑えて、今でも、現状でも満ち足りていることを知ることです。
こうした仏教的な修行には、
仏教の要諦である「中道」も含んでいます。
つまり、欲望を全部消してしまうのではなく、
欲張ることなく、欲望をコントロールして、少ない欲で満足することです。
ところが、今の若者は、
仏教的な修行をすることなく、
すでに「悟っている」という。
若者、特に若い男性に聞くと、
「特に欲しいものはない。
だから、そんなに、お金も必要ない。
行きたいところもない。
女性にもてたいとは思わない」というのです。
つまり、欲望を抑えるどころか、
欲望がない状態です。
これでは、生まれながらにして、
すでに悟りの境地に達しているかもしれません。
「若者よ、欲を持て」と言うと、
仏教に反する感じがします。
日本の若者は、いったい、どうなってしまったのか。
競争のない教育環境で育つと、
仏教的な悟りを得てしまうのか。
経済評論家の大前研一氏によると、
日本経済が低迷しているのは、
「日本が低欲望社会だからである」という。
つまり、欲望が少ない社会だからこそ、
経済が不活発になっているという。
資本主義の中心地であるウォール街では、
「あなたのものは私のもの。私のものは私のもの」という強欲資本主義が普通なのに、
日本では、仏教的な修行をしなくても、
すでに悟りの境地に達している若者が続出しています。
世界に必要なのは、中道の精神です。
欲望を捨て去ることでもなく、
強欲に生きることでもありません。
悟りの窓 2013 8 25
京都の禅宗の寺院「源光庵(げんこうあん)」には、
「悟りの窓」と「迷いの窓」があります。
悟りの窓は、丸い窓、
迷いの窓は、四角い窓となっています。
窓の形から、その意味がわかると思います。
丸い形は、円満、偏りのない心などを表現しています。
四角い窓は、まだ円満に至らない、とがった心かもしれません。
もちろん、仏教的には、
角が4つあるということは、
釈迦が説いた「四つの苦しみ(四苦)」、
つまり生老病死の四苦を、
迷いの窓は表現しているかもしれません。
四つの苦しみがなくなれば、
丸い心となる、つまり丸い窓となるのでしょう。
ただし、この寺院は、禅宗の寺院なので、
窓を通して何が見えるのか、
つまり、心の窓を通して何が見えるのかを問いかけているのかもしれません。